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悲劇・日本人シベリア抑留ニュース・2018・2017・2016/ 12~1
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悲劇・日本人シベリア抑留ニュース・2018・2017・2016/12~1
シベリア抑留者に捧ぐ!
2018・7・22 共同
産経ニュース 「抑留者にささげる」東シベリアで刀鍛冶技術実演 追悼イベント、日本舞踊や居合い抜きも披露
「記事内容」
第2次大戦後に1万人以上の日本人が連行されたロシア東シベリア・ブリャート共和国で21日、日本の刀鍛冶が鍛冶技術を実演するイベントが開かれた。
日露の文化交流と抑留者追悼が目的で、日本舞踊や真剣を使った居合抜きも披露された。
首都ウランウデの国立劇場でバレエ団芸術監督を務める岩田守弘さん(47)が協力。
参加した冨士日本刀鍛錬所(静岡県富士宮市)の内田義基さんは
  「祖国の地を踏むことができなかった抑留者にささげる」と語り、刀の原料となる玉鋼に火を入れた。
約1週間、鍛錬を繰り返すという。
同共和国には、国立劇場など抑留者が建設に関わった建物が多く残る。
日本舞踊を披露した藤間蘭黄さんは
  「日本人がどのような気持ちで暮らしていたかを思い浮かべた」と話した。
岩田さんはモスクワのボリショイ・バレエ団で第1ソリストとして活躍後、現在の芸術監督に転身した。
 
※日本政府は敗戦後、与野党と役人は敗戦利権を謳歌しているが、シベリアの地で果てた日本人は今、現状に何を思うっているのだろうか?
日本人はロシア人がどれだけ酷いか認識しろ!
2018・6・2
産経ニュース シベリア抑留死亡者9人を特定、厚労省
「記事内容」
厚生労働省は1日、第二次大戦後に旧ソ連に抑留され、シベリア地域で死亡した日本人計9人を特定し、都道府県別の出身地とともにホームページで公表した。
これで抑留死亡者の特定はシベリア地域(モンゴル地域を含む)で4万88人となった。
公表された9人は次の通り。(漢字の字体は厚労省発表に基づく。敬称略)
 【北海道】伊藤秀男 大矢大 大屋●一 藤谷林作 撫養数美 ●=吉の上部分が土
 【岩手県】細界義一
 【埼玉県】黒澤信一
 【兵庫県】馬殿匡
 【長崎県】宇田増美
不可解・近年になり何故、事実が明かされ続けているのか?
2018・5・11
産経ニュース シベリアの抑留死亡者11人を特定 厚労省
「記事内容」
厚生労働省は11日、第二次大戦後に旧ソ連に抑留され、シベリア地域で死亡した日本人計11人を特定し、都道府県別の出身地とともにホームページで公表した。
これで抑留死亡者の特定はシベリア地域(モンゴル地域を含む)で4万79人となった。
公表された11人は次の通り。(漢字の字体は厚労省発表に基づく。敬称略)
 【北海道】山本武吉
 【山形県】柏倉幸七、斉藤太惣治
 【宮城県】青●(=木へんに却の去がタ)武雄
 【群馬県】佐野一夫
 【東京都】小林安治
 【静岡県】杉本勘藏、望月重藏
 【大阪府】米原利彦、池畠末吉
 【沖縄県】石川真助
ソ連の戦争犯罪・シベリア抑留も嘘、ソ連は日本人を奴隷にした!
2018・4・7
産経ニュース 抑留死亡、新たに550人分 シベリア地域、延べ5万5000人に
2018・4・6
産経ニュース 抑留死亡者16人を特定 厚労省 (2)

「記事内容」
厚生労働省は6日、第二次大戦後に旧ソ連に抑留され、収容所などで亡くなった日本人550人分の名簿を新たに同省ホームページで公表した。
ロシアから提供された資料を翻訳したカタカナ表記の名前などで、今後、個人が特定され、遺族が判明した場合は、名簿の記載内容を通知する。
公表されたのは、厚労省が平成28年度にロシア側から入手した11件の名簿を翻訳、整理したもの。
地域別では、旧ソ連のシベリア地域のハバロフスク地方(220人)が一番多い。
これでシベリア地域の死亡者名簿は延べ約5万5千人となる。
シベリア抑留では約57万5千人が旧ソ連やモンゴルの地域に連行され、重労働や飢えなどで約5万5千人が死亡したとされる。
日本政府は3年以降、ロシアなどから順次、抑留死亡者名簿などの資料を入手。
翻訳した上で、毎年春にまとめて氏名などを公表している。
厚労省は今後もロシア側へ新たな資料要請を続けるが、担当者は「終了時期は見通せない」という。
               ◇
ロシア側から提供された資料は次の通り。
ロシア語の表記を翻訳したもので、表記は厚生労働省発表に基づく。
複数の読み方がある場合は()で併記した。【】は死亡場所。敬称略。
つづく 以下、名簿

 ※日本政府はソ連軍が大日本帝国軍人を捕虜、これは致し方がないが、一方、非戦闘員である日本人を強制的にシベリアに収容、この一連のソ連軍の蛮行をシベリア抑留と言い替え、事実を隠し日本人を騙している。
本来、非戦闘員である日本人は祖国日本に帰すのが筋、にも拘わらず、ソ連政府は日本人を奴隷にした。
敵国の地で極悪な環境下、強制労働を強いられた多くの日本人は桜を一度も見ず、敵国の地で果てたのである。
これも戦後の日本政府の異常さを物語っているのだが、これを利権化しようと動いたのが、吉田清治と朝日新聞始めとする大噓つき反日左翼日本人が仕掛けたのが、嘘の従軍慰安婦であり、嘘の強制労働、嘘の南京大虐殺である。
反日日本人が仕掛けた嘘は実に根が深い深刻な問題だが、反日政治家である河野洋平が仕掛けた嘘の砲弾処理や嘘の731部隊もあり、沖縄の嘘も同じ流れの中にある。
歴史問題は全て日本政府の異常さを如実に表している。
いつの日か、日本政府の罪が暴かれることを期待している。

  (2)
「記事内容」

厚生労働省は6日、第二次大戦後に旧ソ連に抑留され、シベリア地域などで死亡した日本人計16人を特定し、都道府県別の出身地とともにホームページで公表した。
これで抑留死亡者の特定はシベリア地域(モンゴル地域を含む)で4万68人となった。
公表された16人は次の通り。(漢字の字体は厚労省発表に基づく。敬称略)
  ◇シベリア地域(8人)
 【北海道】中河一
 【山形県】高梨忠治
 【栃木県】生井俊男
 【新潟県】島田芳雄
 【茨城県】柏知道
 【東京都】小林勝造(蔵)
 【福岡県】一木政人
 【鹿児島県】武川福靜
  ◇樺太地域など(8人)
 【北海道】佐藤実、仲村三治、鍋田賢吉、濱崎邦男
 【青森県】新田竹次郎
 【岩手県】高田熊太郎
 【茨城県】黒羽竹夫
 【滋賀県】村上俊

日本人帰還・お帰りなさい、ご苦労様でした!
2018・3・2
産経ニュース 抑留死亡者、新たに11人特定
「記事内容」
厚生労働省は2日、第二次大戦後に旧ソ連に抑留され、シベリア地域で死亡した日本人計11人を新たに特定し、都道府県別の出身地とともにホームページで公表した。
これで抑留死亡者の特定はシベリア地域(モンゴル地域を含む)で4万60人となった。
公表された11人は次の通り。(漢字の字体は厚労省発表に基づく。敬称略)
 【北海道】欠端太郎
 【岩手県】紺野栄喜
 【宮城県】針生寒平
 【栃木県】久保正明
 【群馬県】石川貞一郎
 【長野県】中村信雄
 【愛知県】伊藤郁男、石濱市郎
 【三重県】出馬昌夫、伊藤政一
 【佐賀県】杉谷滋
2016・3・7 読売新聞 重要記事 読売新聞天晴れ!
樺太抑留に新資料…送還収容所で263人死亡
「記事内容抜粋」
第2次大戦後、ソ連が樺太(現サハリン)と北方領土、千島で抑留した28万8655人の日本人の動きを網羅した記録群がロシア国立軍事古文書館(モスクワ)にあることがわかった。
帰国への最終関門だった送還収容所で263人が死亡し、強制労働に戻されたり治安機関に引き渡されたりした人を含めて1069人が帰国できなかった新事実を示す資料だ。
死亡者については名簿と全員の死亡報告書があった。
読売新聞は同館から393枚の文書を入手した。
日本政府は20年以上にわたり、軍事古文書館から資料を入手してきたが、この記録群は収集から漏れていた。
厚生労働省は読売新聞の指摘を受け、急きょ死亡者名簿を入手。新年度にも大半の文書を取得する方針だ。
 ※
厚生省の奴等は事実をスルーしていたのであろう。
本当に役人にする事はえげつない。
これでは死亡者が浮かばれない! 
隠蔽されて来た裏事情も探って欲しいものである。
奴隷・目覚めよ、日本人!
2016・2・28 産経ニュース (1/4ページ) 文化部編集委員 喜多由浩 重要記事 
極寒の重労働への怒り、80人超の同期生を失う悲しみ染み込む「セメント袋歌集」 シベリア抑留者の慟哭…
「記事内容抜粋」
粗末なセメント袋をほどいて作った歌集が残っている。
載っているのは『スターリン賛歌(さんか)』や『民族独立行動隊の歌』などの革命歌、労働歌。
シベリア抑留者が使ったものだ。
歌集をひそかに持ち帰ったのは満州国陸軍軍官(士官)学校7期生、小池禮三(れいぞう、88)。
  「共産主義に染まったアクチブ(収容者の活動家)から『赤旗の歌が歌えないと日本に帰さない』と脅されて、懸命に覚えたものでした」
小池は一度、酷(ひど)いやり口で絶望を味わっている。
ブカチャーチャという炭鉱の収容所(ラーゲリ)で約3年間、強制労働に就かされた後、「日本への帰国」を告げられ、船が出るナホトカまで来たというのに「船が来ない」という理由で別の収容所へUターン。
落胆はあまりに大きかった。
  特攻を前に遺書を書く  離脱か、残留か  肥料まで食べさせられ  
中略
小池の引き揚げは24年9月。引き揚げ後も苦労は続いた。
“アカ”に染まったのではないか、と疑いの目で見られ、刑事が思想のチェックにやってきた。
外地からの引き揚げ者を対象にした大学編入の特例措置はすでに締め切り。
20歳過ぎが「新制高校2年生からやり直せ」といわれれば、進学を諦めるほかはない。
ようやく地元の金融機関に職を見つけたときの採用条件は「絶対に赤旗を振らないこと」。
シベリア抑留経験をやっと打ち明けられたのは“平成の時代”になってからという。
せめて母を、故郷を想いながら死んでいった友の最期の様子を家族に伝えたい、とも思うが、どうしてもできなかった。
  「申し訳ないと思う。だけどやっぱり後ろめたい気持ちが消えないんですよ。私は生きて日本に帰ることができたのですから…」
 
※朝鮮人よ、これが日本人魂、日本人の凄さを見よ! シベリア抑留を生き抜いた日本人の姿である。
大日本帝国が半島を搾取したか、嘘だろう